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2009-01-26(Mon)

復旧しました。

「hataさんのかけはし」が下記のように復旧しました。
「別れがたい人へ」の続きは正「かけはし」に載せます。
短い間でしたが、ご愛読、ありがとう御座いました。
どうぞ、下記ブログにいらっしゃって下さい。

http://hata1.blog.bbiq.jp/blog/
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2009-01-26(Mon)

映画「花とアリス」別れがたい人へ その1

hanato

映画の題が「花とアリス」でゾッとしません。 が、鈴木杏さん蒼井優さん他の豪華主演というので見ました。二人は親友で郭智博君をみそめる……聞いたような始まりで、つまり郭君は外人の友と連立っている。これ漱石の「こころ」の書き出しと同じです。

杏さんの演じる花は、親友の好きな男を取りに行く……といってもアリスは何の行動も起こしておらず、花の行動はそれほど罪の色を帯びません。しかし鈴木さんの猛然とした演技は……花の中の凶暴性を感じさせます。この映画は基本、コメディです。

コメディですが親友同士が殺意に至る場面も含み、所々シリアスに描出します。一人の男を二人が奪い合うに関しては、はや中年の域に達しており、コメディの表層は裂けます。裂けた物語をなおコメディにまとめたのは監督の手腕なのか、限界なのか?

その罪とも言えない罪、嘘で人を裏切るところから、罪は花の中に蓄積を始め、アリスも宮本君も見えなくなって行きます。姜尚中さんは最近、友情しか信じるものはないような主張があり、漱石のこころを取り上げるのですが、映画の花の行為を指すのか。

小学校で、いえ幼稚園でも何でもいいのですが、最初の友達が出来て、その子を家に連れて来る時の感じを覚えていますか。小学生が小学校が終われば、家と幼稚園の間の、寺の境内廃屋空き地そんな場所しか、別れがたい二人に行く所がない。

二人の場所は結局、家に帰るか、その友達の家に向かうしか選択枝がないのです。行き場所を失くした妙な気分を覚えていますか? その友達が熱をだして、いえ映画の中では宮本君が花の家に行きます。家には花のお母さんがいて下着姿で出て来ます。

ここで家には性の意味があって、花は薬を買いに自分の家を出ます。外には雨が降る。雨は花の動揺を意味し、死に至るほどの重大な事態を暗示します。雨の中、公園ではアリスがレインコートでバレーを踊っている……

この夢のようなシーンをつなぎ合わせると、夢は意味を失ってしまう。宮本君の熱は死の熱である為に、花の中に深い罪悪感を呼び覚ますのであって、その宮本君が傘をさして歩き出したら、花の罪悪感も失われてしまう。となると花は、ただ厚顔無恥になるのであって……

美しい夢は夢に過ぎず、朝起きて記憶を原稿用紙に書き連ねてみても、詩にも小説にもならない。夢の中で美しかった事は、用紙の中で汚らしい文字になって現実にもどる。性的な欲望を性欲というのですが、性欲そのモノは美しくはない。

花はつまり宮本君に恋ではなく性欲を自覚する。友達を家に連れて帰ることには、何か後ろめたい感覚があって、異性同姓に限らずためらわれます。別れられないほどの友達を作ることは、それ自体に父母への背信の意味があるのではないでしょうか。

鈴木さんと蒼井さんというのは、上手いのか単に美しいだけなのか判りませんが、とりあえず見せますねえ。脚本演出の岩井監督はここに自覚がないと思うなあ。岩井監督は漱石、読んでいるのかしらん(連続3回)

2009-01-25(Sun)

スウェーデンの障害者集団 終回

日本とスウェーデンでは自然観が違うと思われます。それから命の価値も違うのでしょう。日本には姥捨て、間引きの歴史がありますがスウェーデンにはなく、逆に人の命を高く評価する。日本では障害者を尊重しなくても健常者の代わりが幾らもいる訳です。

障害者に予算をかけて生かす、つまり税金のかかる人材から税金を生み出す人材へ、障害者を変えて行くシステムをスウェーデンでは作った。日本では有能な人材は一握りでいい、後は機械の手助けをする人を作ればいい。

フォード工場でいくら自動車を作る作業をしても、自宅で自分用の車は作れません。作る力は工場に蓄積するので、社員個人の力にはなりません。チャップリンは人間性に欠ける仕事の内容を、映画モダンタイムスで見破った訳です。

私の友人は、セールスが取ってきた注文をパソコンに打ちこむ作業をしました、だから友人には、私のような作文力はついていません。ただ使えなくなった両手が残った。親か兄弟から小遣いを貰って毎日をウツウツと過ごすように見えました。それは、
「働いていないということは辛いことだからね」そう言った男、レンデルの言葉とも対応します。

日本人にとって仕事とは何か、人間性とは何か。直接の答えはありません。ただトヨタがスウェーデンのサムハルを視察に来た事がヒントになります……ある人が、外部からトヨタ工場に視察に行って、すっかり参って帰って来ます。その人、ホンダの車に乗ってますがね。

私ではありません。そういう人は多いのです。またトヨタは広く、そういう工場視察を募るようです。で聞く所によればトヨタの秘密とは、ネジをつける場所とそのネジを入れた容器、そのドライバーを置く場所の3つを近くに集中させる。すると合理的な一番早い動きで作業が成立するそうです。

フォード工場と同じとは言いませんが、より完成されたフォードシステムと言える訳で、日本はアメリカに一番近い国ではないでしょうか? だからサムハルを見たトヨタの有村さんは、結局サムハルとスウェーデンに驚くのです。こう言われます。
「あなたはスウェーデン語が話せませんよね。ここでは、あなたが障害者なんですよ」

それは深い意味も何もない、ただの会話ですが、障害者という言葉が自分を指している事に驚くのです。これに私流の解釈を加えると、人は健常者に生まれて来る訳ではありません。だって介護の必要な赤ちゃんや子供は、障害者ではありませんか?

むろん介護の必要な老人も障害者と同じです。人は障害者として生まれ、障害者として死ぬのです。その間の短い間を健常者と呼ぶに過ぎません。もう少し言いますと、パソコンを習うと判るのですが、大抵は若い女性のインストラクターに教わるんですよ。

水泳教室もそうです。私の肩書きは社長であるとか、大学はどこの仏文学部を出たとか、プールでは意味がないのです。パソコンもケータイも使えなければ障害者だし、プールに行って泳げないのも障害者なのです。日本のオジサンとオジイサンは、私も含めて、
「そんな事があるもんか」ト、そっくり返っていただけです。

トヨタの有村さんは障害者が、普通に仕事し普通に街にいる様に愕然とします。オジサンやオジイサンが、そっくり返ってはいない。その意識の差に歴史を感じるのです。

私は思います。子供を切り老人を切り障害者を切って来たのは人だろうか。個人より家、家より会社、会社より社会……いえ一部分の一握りを大事にすれば、個であり大多数がおろそかになる。この状況が問題になる、いや、もうなっているのではないかト。

日経ビジネスの連載はいったん終わり形を変えて継続されるそうです。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090119/183071/

2009-01-24(Sat)

スウェーデンの障害者集団 その2

今、日本で問題となっている派遣ですが、本雇いではないハケンだから斬るのは当然と会社側はいう。それではたまらないト社員側はいう。本雇いに対しての仮、仮の社員がスウェーデンにもあるのです。ただその仮、ハケンの意味は違っています。

身障者が仕事に着く場合、どうするか? 健常者なら一人で出来るいくつかの行程を分ける。二つに分けたら2人をつけ、三つに分けたら3人をつける。すると全体で健常者3人分の仕事が障害者3人で出来ることになります。

分ける前に一つだった仕事に、障害者が到達する事はないのですが、それでも仕事がないよりは良いのです。仕事を細分化して労働内容を単純化して、誰でも出来る仕事を作ると……それを始めたのは自動車のフォードと言います。

工場労働を皮肉ったのがチャップリンの映画「モダンタイムス」です。単純労働の中で人間性を奪われた人には、何でもネジにしか見えなくなる……チャップリンはそう言いました。熊本に帰って来た私の友人は、ある意味それに似ていました。

友人はパソコンを打つ仕事をしていました。打ち込みの仕事をつめ、ある日その手が動かなくなる。手は回復することなく、今、友人は足でパソコンを操作しています。
「記事を作って、そんな事はないか?」友人は私に聞きます。

私のしていた事は人に会い、話をして、話の中の記事になる部分を見極めて切り抜いて原稿にする。文字の打ち込みは全体の部分でした。どんな話のどの部分が重要かを見る……数日前に文案集の優劣をいったのもそういう事です。

スウェーデンの障害者集団サムハルがしている事は、障害者を雇うという事ではなく、障害者の能力を開発して作り出して行く事ではないか? そう私は読みます。サムハルでは年5%の従業員を一般労働市場に転職、送り込んでいるトいいます。

仕事がなければ作り出す「野菜加工場。ブドウの枝から実を外している盲目の女性がいた。生鮮野菜の小分け作業では、秤で重さを確かめる必要がある。だが、彼女にはその秤の目盛りが見えない。彼女にできる仕事はないか――。責任者のステファンが発注先の会社に房ごとではなく、実だけのブドウパックという商品を提案。新しい仕事を作り出した。」との例が出されます。

この他、身障者が接客業につく事はスウェーデンでも非常識でした。それは変わりました。熊本にも知的障害者がウエイトレスをする喫茶店があり、手のない人が足で書類を渡してくれる行政窓口があります。出来っこないとは……先入観なのです。

正社員として力不足だから会社はその人を切る。研修を施し力をつければ切る必要はなくなります。この不況には間に合いませんがハケンの問題は基本的にそうでしょう? ただ先に挙げたブドウの例は、正直な所、私にはピンと来ないのですが……(次回終了)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090116/182922/

2009-01-23(Fri)

スウェーデンの障害者集団 その1(予定3回)

日経ビジネスが身障者を題材にしています。連載で「働きたい者には等しく機会を与える」との企画で、障害者集団スウェーデン・サムハルを取材しています。ご承知のようにスウェーデンは税金が高く、大雑把に日本の倍と私は了解します。

高くても国民が納得するのは役人や政治家が上品で、くすねたり天下りを繰り返さないからです。日本ではこうはいかない。

「サムハルの最低賃金は月1万6600万SEK(スウェーデンクローナ)。従業員は産業別組合と企業が合意している最低賃金以上の給料を受け取っている。日本円にして約20万円。後は習熟度によって賃金が上乗せされていく。この20万円を多いと見るか、少ないと見るかは評価が分かれるところだろう。その多くは、税金として徴収されていくからだ。」

「配送所で出会ったパトリック・レアンデル。待遇について尋ねると、こう言葉をつないだ。
『もっと給料がよければいいけれど、まあ満足しているよ。だって、働いていないということは辛いことだからね』」

スウェーデンには行ったこともない、私には何とも言えません。障害者工場の近くは障害者町になる。商店は身障者への対応になれ、それが身障者にとってよくなる……ト、東京のそういう所から帰って来た身障者に、そう聞きました。

この友人に限らず、言語障害者は健常者と話すのをめんどうがる。訳もなく見られる事に、私は自分で慣れてしまいました。住めば都、記憶される事を逆手にギャグを飛ばす。よくいえば常連のような、つまり厚かましい顔をする訳です。スウェーデンだから、障害者工場だから……

よいとは言えない。むろん悪いとも言えません。障害者企業がなぜ成立するのかト連載方向を持って行きます。この連載の先にあるモノを私は予感します。スウェーデンという国が今、スポットを浴びたには理由がある。障害者工場に取材が向いた事にも……

そう、東京のそういう所にいた身障者だったのに、私の友人も結局、熊本に帰って来たのです。工場で働いて身体を壊して居られなくなった。なぜそうなるか明確には判りませんが、熊本はユルイのです。東京工場はその辺の管理が厳しい……と推測します。

スウェーデンもユルイ、だから身障者工場の成り立つ余地がある。終身雇用と派遣はどちらがいいか? アンバイよくすればどっちでもいいんでしょ? 安い税金と高い税金はどっちがいい? 行儀の悪い人を罰する規則があれば日本だって……これもどっちでもいいんです。

文内にもありました「この20万円を多いと見るか、少ないと見るかは評価が分かれるところ」ト……この連載に付き合ってみます。実際の連載をさらに短く、私流に消化してご紹介できますか、どうか?
なお記事元の日経ビジネスは登録すればフリーで読めます。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090105/181859/

2009-01-22(Thu)

キーレスエンジンのキー、電池交換

キーレスエンジンのキーは電池交換が必要です。
電池交換は絶対、自分でやりたい。
アイの場合、ボタン電池はCR-1616です。
ダイソーあたりにも売っていそう。ダイソーにあれば105円ですね。
ディーラーに頼んでも、極端に高くはありません。300円くらい。
ただし、失敗しても自己責任を忘れないように。
当たり前です。参考画像はココにあります。
http://shoppers-jp.com/tanken/keyless/index.html

2009-01-21(Wed)

食の悦楽

飲食も楽しむ面があり、タバコや酒と同じく、食もストレス解消の道具とみる事ができます。線引きは難しいが飢えではない側面、倦怠とデカダンスの訳もる。つまりあまりのグルメはあさましく、恥じなければなりません。

あさましいとは私に対してという意味でなく、後進国に飢えた子供がいる。その子の目の前には……そういう意味です。いい大人が自己管理できずに身を持ち崩す。タラタラ食ってと麻生首相は笑った訳です。意地も見せなければなりますまい。とはいえ肥満はともかく私も体重は増える傾向にあります。

アル中やニコチン中毒から立ち直るように肥満からも立ち直らなければ……とすると、それがまたストレスでプレッシャーになってきます。だんだん頭が痛くなってきて頭痛薬を探したりする。頭痛薬は見当たらず、買いに出かけた先で忘れたりします。

頭痛薬を買わないでお菓子を買って来たりすると、自己嫌悪がいや増します。今年は健康診査がメタボ検診と位置づけられ、メタボとされた中高年はプールに来られます。アクアエアロビ、水中体操を習いに来られる訳です。

「ああ、体動かすと気持ちのヨカですなあ。腹はへるバッテン」と言った感想がもれます。前半はいいが後半は危ない。ご用心、私も太る体質です。
――帰って何か食べたら、せっかくのエアロビが何にもなりません(笑)食べちゃいけません!

冗談とも説教ともつかぬことを言います。呑むことや食うことが幸せと思って来た人に、今は幸福のない世界です。モノを持ちコレクションを豊かと思って来た人にも、今は豊かさのない時代です。豊かでも幸福でもなく命だけが伸びた世界です。

長い命は限りなく不幸に近い匂いをさせる。が、不幸と呼んではいけない。コメンテーターの室井祐月さんが最近、ふっくらしてきた顔で、ギャル曽根さんを羨みます。
「なんであんなに食べて太らないの」みたいな事をいう。

室井さんはあれもこれもトやってきて、結局、食べることに一番の意味を見出されたのでしょうか。あれもこれも出来なかった私などが、そういう室井さんをシゲシゲと見ます。ギャル曽根さんは知ってらっしゃいますか?

あの人はカメラの前で食べるんです。その口が大きい。それでパクリ、その後どうするか。噛まないことはないのですが、グチャグチャとはやらない。極端にいうとスーッと飲み込みます。パクリ、スーッとパクリ、スーッと数人分が消えて行きます。

爬虫類が両生類を食べているような、気味の悪さというと大袈裟ですが私などは感じます。室井さんは感じないらしい。ギャル曽根さんがタレントとして伸びてる所を見ると、室井さんの感覚が女性一般で、私の感覚はダメらしい。

ギャル曽根さんはカメラの前で食べるのが仕事で、オフでは個人にもどる。当たり前ですが、そのオフで……何をするかというと、やっぱり食べに行くそうです(笑)つまり食べる事に人生のかなりを、ほとんどを費やすんです。

私は別にとやかく言うんじゃありません。それは勝手ですから、食べるのも呑むのもモノに執着するのも、全部、個人の勝手ですから私がとやかくは言いませんが、ネエ(笑)タラタラ食ってと笑った麻生首相は、結局、正しかったのでしょうか?

2009-01-20(Tue)

ハクセキレイ

セキレイ
ハクセキレイという鳥です。ユーラシア大陸に広く分布し、近年セグロセキレイを圧迫しているとも言われます。セグロがビッと濁る声であるに対し、ピッと声が澄んでいる。色も灰色に近く、柔らかい色合いというが、対応するセグロの写真はありません。

この近くに池があるのです。つがいらしい、もう一羽との2ショットは撮れませんでした。

2009-01-19(Mon)

ドタキャンへの対応~文例集~

参加の取り消し、ドタキャンは困ります。さっそく抗議のメールを出さなければなりませんが、その文案です。
「貴社のご協力を念頭に置いて準備を整えてまいりました。弊社では貴社に参加いただけない状態では開催の目処さえ危ぶまれます。ご賢察の上、再検討賜わりますよう、お願い申し上げます」

抗議といっても再検討を願う点に重点があります。どうしようもないドタキャンには抗議さえ意味がない。言葉をつくすと共に条件をゆるめて再検討してもらう。そこに重点があります。相手会社がなぜ不参加にしたのか聞き、言ってもらえなければ推測します。

身障者の料理研修会を、企画を立てた事があります。毎回、保健所や食品メーカーと、外部との提携を試みました……その提携を進めて行く中でA社の場合は、断りはしないものの話の進行が遅い。来月はダメで再来月という口調です。

乗り気がないのでは? 薄々は私も感じました。半年近くなってのキャンセル申し込み、
――判りました。しかし私としても困ります。長くなりますので予定は会員に言ってあり、口頭でですが貴社の名も出しました。会員は楽しみにしております。お断りの理由は何でしょうか。

A社は、理由については口を濁します。しかし突破口はここでした。
――そこは伺わないと私も、会員に言い訳が出来ません。
A社との話の方向はやがて再検討に向かいます。このようにメールと電話を併せるのもポイントかも知れません。

文例集の作者、荒谷慈さんはこう書きます。
「条件面での譲歩の余地があるのであれば誠意を持って再検討を依頼する」相手に願うように自分も考え直すことです。
「十分理解している事を書かないと、一方的に都合を押し付ける事になり、相手に不快の念を抱かせる」

ただ、あまりに条件に譲歩しては企画自体の意味がうすくなり、やがて消滅します。見極めはあります。それにしても人間関係はむつかしく、非常識な意向もあるのです。一人で出来る事は一人でやった方がいいのかも知れません。

――こういうドタキャンも、あまりないでしょうが、ね(笑)
「ドタキャンはあるよ。何があるか判らんもん」
文例集では「申し込みキャンセルに対する困惑を訴える」がこの項目へのタイトルですが、ちょっと長すぎます。「ドタキャンへの対応」でいいしょう。

私の場合、参考になりそうな文書をこういう本に挟んで保存します。
「大変なご迷惑をおかけしてまことに申し訳ございません」などの言い回しは、若い時は判りません。それで文例集を使うのです。歳を取ると……話のネタに使います。

自分では書きたくない状況の文書ほど、大切に取っておくと……使うとなるとですが役に立ちます。パソコンでブログに書いて置くのも、むろん大事でしょう。

2009-01-18(Sun)

Eメール文例事典 荒谷慈

文例集です。こういう感想は読書とか書評とか言いません。ネタにするだけも謙遜ですが、厳密に思わないがいいのです。話をつなぐので、例に引く文も正しく引用と限りません。むろん褒めます。これは良い文例集と思い書きます。

文例集に長いタイトルを付けました。「ビジネスにプライベートに すぐに使える Eメール文例事典」IDGコミニケーションズの出版です。どこが良いか? 微妙な点を明瞭に書こうと努力しています。荒谷慈さんは男女問題に関する著書が多いようです。

「折り入ってご相談したい事があります」という書き出しです。断られるかも知れない深刻な内容が続くのです。「実は私の離婚問題についてです。原因は夫の不倫です。すでに私の方から話は切り出したのですが、夫は了承してくれません」

媒酌や祝辞を依頼する文例は多いが、離婚を願う文例は少ない。しかしどう書いて悩むのは、都合の悪い文を書く時です。「恥ずかしい話を申し上げます」と、どこかに入れるべきか否か、迷う人もあるでしょう。実は入れても入れなくても大差はありません。

「書くか書かないか迷いました」「こんな事は誰にも書きたくはなかったのです」どう言い回しても大差なく、省略がいい様にすら感じます。まあ個人差です。それよりも……

「夫に別れるように言って頂けないでしょうか。こんなお願いを出来るのも××様しかなく、どうか宜しくお願いします」
この部分が最重要な所です。ここをキレイに言い回そうとすると、誤解が生まれ兼ねません。恥ずかしい不都合なメール、手紙でも同じことになります。はっきりさせるしかない訳です。

「出来ましたら夫の方に……」「私の決心は固いものです」
こう言った言い回しもありますが、なくても通じます。どうしても書きたい場合も、誤解が生じないようにしなければなりません。
「今後の連絡方法は、メールでお願い出来ればと思います」
「私が××様に願ったことを夫は知りません」

次に重要なのは××さんを、こちらの味方にすることです。別れるよう勧めてもらえれば一番、中立になってもらえれば二番、最悪は別れないよう取り持たれる。ないしは夫の味方になられる事です。

私は自分の生を切り開きたいから、夫の味方にだけはならないで欲しい。これほどの願いは相手の心も強く打ちます。それを退けようとする人は少ない。状況分析までされ政治的な見解でもあると見れば、この文例集は優れています。

私が前に使った、あまり使い物にならなかった「実用手紙百科」では離婚によせる文案はなく、類する文案は「縁談を断る」、いかにも手薄です。今はこういう時代であり、手紙よりメールという媒体自体にもメリットは大きいようです。

2009-01-17(Sat)

入選!

詩のコンテストで賞を戴きました。
このブログでも発表さして戴きます。
これは去年11月ラジオNIKKEIで募集がありまして、23日前後に書いています。募集元はてっきり禅宗の寺と思ったのですが、実の主体は婦人公論のようです。

「私の書いたポエム」あたたかい言葉では思いつかず、広義に解釈させてもらって、ありふれた「忘れ物」に傘をあて、対応する意外な忘れ物は何にしようか、考えながら書きました。これも最後の一行にオチがあるんです。つまりサブプライムローンです。

具体的には自分で撮った一枚の写真をタネに、いい加減な言葉を羅列して、繰り返し繰り返し、別な今日の忘れ物に行き当たる。そういう構成にします。ただ、このオチは11月26日では首かしげる。良くしたもので12月に入るとオチは効きます。今は効き過ぎ……

誰が書いてもそうなります。詩には予言性があって、書いた直後よりずっと後に、納得が行く場合があります。朗読を前提の詩はストーリーがあるか、繰り返しがあるのが面白い。私の詩は今回、後者になっております。

その番組自体が、ネットに収録され聴けるようになっております。
「日をしまう」という題で私は3等「婦人公論賞」になっております。
http://www.radionikkei.jp/poem-sp/ から2枚の写真の後、
「優秀ポエムの発表と愛語の解説」という表示をクリックして下さい。番組全体5分の2過ぎくらい。私hataの順番が回ります。男声での朗読の後、講評は詩人の井坂洋子さんになります。

日を仕舞う。
今日という、この日を仕舞う、もう夕暮れ。
いつものように暮れていく日の、日の仕舞い方。

お仕舞い終わり、後は明日。だが、しかし、
今日の持つ、かけがいのない意味を、私は汲み取ったか。
日の実感を落ちこぼし、流してはならないと、

CDの中で歌う、ノラ・ジョーンズの声のかすれ。
未練とも反省ともつかぬ、その思いまで、もう夕暮れ、
思いは収まらず体は疲れかかる。
よどんでは停滞する空気の、大気の厚みに、

日を仕舞う。
今日という、この日を仕舞う、もう夕暮れ。
いつものように暮れていく日の、日の仕舞い方。

お仕舞い終わり、後は明日。だが、しかし、
今日の持つ、かけがいのない意味を、私は汲み取ったか。
日の実感をこぼし、流してはならないと、

一日、私の息を吹き付けたが、そろそろお仕舞い。
交差するテールランプ、バスの排気も、もうお帰りの色。
朝の望みを、時間はあきらめへと押し流す。

忘れ物の傘はないか。まだ取りに帰れる……そろそろ難しい。
もう無理、無理そうト。車をUターンさせても、あきらめがささやく。
夕暮れの時間は忍び寄り、首から肩の辺りで乾いた匂いをさせる。

日を仕舞う。
今日という、この日を仕舞う、もう夕暮れ。
いつものように暮れていく日の、日の仕舞い方。

お仕舞い終わり、後は明日。だが、しかし、
今日の持つ、かけがいのない意味を、私は汲み取ったか。
日の実感をこぼし、流してはならないと、

私が忘れたんじゃない、無くした物、帰る家。

2009-01-16(Fri)

ダイエット

ダイエットは体重の管理です。障害の管理と違うのか、重なる部分はあるのか? 今日は朝バナナから、その辺の話題に持っていく魂胆であります。タネをばらしてやる手品は聞きませんが、私の場合は可能です。ブログにも慣れ、この慣れは退廃の始まりでもあります。

私は股関節が悪く、体重が増えれば負担は股関節にかかる。負担が積み重なって障害が悪化する訳です。体重は1キロでも減らしたほうがいい。股関節の寿命より先に本体の寿命が逝けば手術なんぞ、しなく済む。その意味ではダイエットは無関係ではありません。

朝バナナという訳ではないのですが10数年前から、定番で朝にバナナを食います。バナナとヨーグルトという組み合わせは坐りのいいメニュー、全体の一部分となっています。バナナが無くなった間、りんごに置き換えたのですが、やはりバナナの方が合うようです。

こういうように、ある合理的な組み合わせが大事ではなく、たえず目先の変わるメニューに次々、変え続けなくてはならない。よく判りませんが、そういう前提があるようです。ダイエットの必要はなく付き合う人がいる、のか……

バナナがなければりんごに変えますが、そうでなければ私は変えません。私がそうかは怪しいが、男は変化を強いられる部分はあるかも知れません。最近は女性も似たような状況とは思いますが、変化への望みが食に集中するところでもあるのでしょうか?

「目的の体重になったので……」朝バナナを止めた女性に、それ以上を聞かないのですが、やがて体重は元にもどる事になります。もどるまで好きに食べて、元より増えたらまたダイエットする。体重増加を見込んだというか、余計に食べる為のダイエットと、いう事はないでしょうか?

私の場合は関節の負担を軽くするための減量ですから、触りでもない限りはそのままです。むろん無理な減量は意味がありません。目的は合理的に焦点があります。グルメ外出を楽しむために日常食の倹約はありません。

いえね。身障者は日常へ絶望しているような所があって、日常を嫌悪している人はいます。目的とか意識がイベントにしかない。たとえば旅行好きという人は身障者にも多いです。ないがしろにしている。普通の毎日を捨てています。

「もういいでしょう」とか「このくらいで」とか、
「どうでもいい」という意味の言葉がつきまといます。こういう言い方でいいか悪いか、障害のある現実に疲れているのです。旅行に行けば目新しいので、それが気にならなくなる。きれいに言えば感動を求めている訳ですが……これは退廃です。

発展途上の国に行くと子供の目が輝いていると言います。塾に行く日本の子供の目は、そうは行きません。友達と連立ってグルメに出かける女性の目は輝いていますか。台所に立つときはそうも行かない……ですか?(笑)

朝バナナの流行と終わりに何を見るかは様々と思います。人の悩みは深いです。今朝、郵便受けに入ったチラシでは修行を積んだ業者が、あらゆる悩みを解決するそうです。相談料が2500円で体験修行もあるそうです。体験修行は別料金か?

2009-01-15(Thu)

朝バナナ

身障者には自己管理があるのは昨日、書きました。管理が足りなくてはいけない、多すぎてもいけません。先に朝バナナ・ダイエットというのが流行りました。ダイエットも自己管理と思います。身障者の自己管理に似た面はあるのでしょうか。

朝バナナ・ダイエットのあおりで果物屋の店頭からバナナが消えたことがあります。昼から自動車を出そうとしてると女性が果物屋を探しています。
「この先に果物屋があるそうですが……」
「ああ、バナナだろ? 今から行ってあるかなあ。午前中に売り切れて張り出さるるけんなあ、今からでは無理じゃなかろか」
そんな話が聞こえます。

確かに自動車で通りかかると果物屋には、マジックの張り紙が出ています。そんな風景が2ヶ月続いたでしょうか。朝バナナ・ダイエットのブームはやがて終局します。果物屋の店先に、いつものようにバナナがあるようになります。

終局の理由は「思うようには効かない」
「一応、目的の体重になったので……」
「食べるに飽きた」この最後の理由が一番多いらしく、
「バナナは見るのも嫌になって」それで朝バナナは止めたと言います。

確かに水を見るのも嫌になってプールを止めた事は、私はありません。インストラクターの人には、
「午前にあのプール。午後にこのプール。夜になって別のプールに行くとさすがに、もう水は見たくもなくなって(笑)」そういう話は聞きます。

昼か夜か、私は日に一度しか行きません。そこまでの事はない訳です。だいたい午前中に原稿を書くか、書かないまでも考える。それなりのストレスが生じまして、基本的に発散の必要があって、その意味でのプール需要もあり、飽きるという事はありません。

原稿のストレスを水泳で発散すると、体は疲れますから、夜になると勢いよく寝てしまう。疲れという意味で水泳もストレスにはなっていて、次の行動に結びつく訳です。どこか眠たい気分でフワッとした気分で買い物をして、食って寝るというのは……

それを特別に行動するとは普通、言いませんがネ……ライフスタイルとかバイオリズムといいます。そういうのは生活習慣とは別に、作らなくてはいけません。その意味では朝の散歩をバイオリズムにして持つ人は偉いのかも知れません。

ホラ、下らないというか懲りない放言癖でまた人気を下げた、あの人、いるでしょう。誰でしたっけ? どんな軽蔑すべき人も一つくらいは偉い点を持っています。それは見習うというか留意しなくてはいけません……何の話でしたか? そうバナナに飽きた話です。

まあ食い意地が張って、意地汚いというとあの人のように怒られますが……それは別なストレスなのかも知れません。

2009-01-14(Wed)

プール・リタイヤ

プール友達の島崎さんがリタイヤされました。そういう話を聞きます。島崎さんの場合は年齢より、リウマチの進行があって、その関連と思われます。
「もう泳がれんごつ、なった」の一言を残して島崎さんは消えたのです。

障害が進行したのか、医師の治療法が変わったのか、具体的には薬を変える話は聞いていました。その先の事は判りません。泳げない泳がない、プールに行く人より行かない人の方が多いのです。それはずっと多い。その意味では島崎さんも多数派に戻ったのです。

先日、会った若い人に言われます。
「時々、いらっしゃるのですか?」
――ええ私は……むろん来ない時もあるのですが大抵、毎日なんです。
「リハビリで? 偉いですねえ」
――偉くはありませんが、ここの方が病院より効きますので。

話はこのあたりで終わるが、なお突っ込む人があり、私も無駄話をした。この人が他に話した物らしい。毎日プールの問い合わせが他からあります。泳ぐのは週2では足りない、出来れば週3以上が望ましいのです。

身体管理の上からいうと土、日曜だけより間、水曜日を入れた方がよい、もっというと一日置きになります。すると実際には、
「ええっと、昨日は行ったっけ?」となりますから、いっそ毎日という事にもなります。

大体、私も初めのプール講習は週1で始まります。それが週2になって、夏場の暑さしのぎで3が4に……県の対策で身障者はフリーという事になって「はて昨日は?」で冬場も毎日という、そういう有様になります。

一日置きで、その日2000mは適当かも知れませんが毎日2000はやり過ぎかもしれません。なかなか言えませんが島崎さんは毎日2000で泳ぎ過ぎたのではないか? 余計な心配も頭をよぎります。我慢会ではなくリハビリですから細く長くが身上です。

とは言うものの身体管理は簡単でもない。少し省略してついに行かなくなったりします。
――あら、お久しぶり。どうされてました?
「いや~ぁ……風邪ひいて」
――風邪? こじらしましたか?
「こじれもせんが、ちょっと休むつもりが半年こんだった」と笑われる。そういう風に島崎さんも復帰があるといいのだが……
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